甘い言葉なんてついぞ無かった。 『俺と付き合え』 強いて言えば、それだけが自分達の関係を示すために発せられた言葉。 「これ、受け取って下さい」 突如現れた女に驚きつつも、イザークは目の前に突きつけられた包みに目を遣った。 本日何回目かのこの光景。 ザフト軍内は普段は女っ気が少ない。しかしオペレーターをはじめ、女性が全く居ないというわけではない。そんな普段は直接軍人達とは関わりのない女性達も、本日ばかりは軍内のあちこちに出没していた。 バレンタイン・デー。 本来プラントにはそのような風習はないのだが、民俗学などに精通しているイザークはその風習についても勿論良く知っていた。本来は日頃の感謝を込めてカードなどを送る日に過ぎないのだが、世の恋に悩む女性達とお菓子会社の企みによって地球の一部では女が好きな男にチョコレートを渡して想いを伝える日となっているらしい。そして困った事に、プラントで流行しつつあるのはこちらの風習の方だった。 「悪いが、受け取れない」 目の前に包みを差し出す女の顔をロクに見もせずに、イザークは冷たく言った。突き放すような言い方は生まれつきだし、それにこの場合下手に優しくする事が良い事だとも思わない。 「・・・あのっ、貰ってくれるだけで良いですから」 イザークはしかめっ面のまま首を振った。こんな態度を取ってしまえば、後で女達の間でどんな悪口を言われたものか分かったものではなかったが、生憎イザークは女達の影口などを気にするような性格ではない。そのまま女に背を向けて歩き始めると、女がぱたぱたと走り去る足音がした。 「受け取るくらい、いいんじゃない?」 不意に背中から掛けられた友人の声にイザークは振り返った。 見ればディアッカは両手に大きな紙袋を抱えている。先程のセリフとその紙袋の中身とを照らし合わせて、イザークは呆れたように溜息を零した。 「そういうお前は遠慮なしだな」 「まぁな。俺は恥ずかしがり屋の女の子の為にちゃんとオペレーター室の方にも顔出しに行ったし」 そんな物乞いのような真似などイザークには到底出来ないのだが、ディアッカはそういった事をごく自然とやってのけれるのだから呆れを通り越して感心に値する。 「そうそう、お前らの分も預かってきたぜ」 「何だと?」 「イザークに渡してください、ってね」 ディアッカは袋の中をごそごそしていくつかの包みを取り出すと、挿してあるカードの名前を確認し始めた。 「要らん」 「即断だな。可愛い子からのもあったぜ」 「誰でも要らん」 「何だよ。貢物なんて以前は貰ってたじゃないか」 「別に。断る理由もなかったからな」 「今はあるってのか」 からかう様なディアッカの口調にイザークは返答をしなかった。 本当は今だって受け取れない理由なんてないのかもしれない。軽い気持ちで渡す人間の方が多いのだし、チョコくらい貰ってしまっても問題はないだろう。けれど、イザークだって色々思うところがあっての行動だった。 「とにかく、それは受け取らない」 「折角買ったんだから、戻されても女の子だって困るだろ?」 「ならお前がなんとかしておけ」 これ以上一緒にいてはかなわなと思ったイザークはディアッカの脇をすり抜けて階段をかけ上がって行った。 行き止まりのまで階段を昇り続け、本来は閉まっている筈のドアを難なく開けた。 もしかしたらここで会えるかもしれない、という期待も密やかにあったのだが、広い屋上には他に誰の姿も見あたらなかった。 淡い期待こそは潰えたが、イザークは喧騒から逃れた事にひとまず安堵すると、フェンスに凭れて空を見上げた。 バレンタインなどあちこちで女供に声を掛けられるわ、男供には下らない詮索やらやっかみを受けるやらで、イザークはいい迷惑だった。 ディアッカなどはただのイベントなのだから軽い気持ちで受け取れというが、そうもいかない。密やかに込められた思いの丈に気付いて尚知らんフリを決め込めるほどイザークは冷血にはなりきれない。 心尽くしの贈り物などした事もされた事もあまり無いから、早い話が対処の仕方がよくわからないのだ。 贈りもの、と考えて以前ラスティからアスランは色とりどりのハロを作っては婚約者に送っていると聞いた事があったのを思い出した。あんまり熱心だから、今頃婚約者の家はハロでいっぱいなのだろうと笑っていた程だ。 彼女にそれを送る時のアスランは一体どんな顔をしていたのだろうか。 満面の笑顔を浮かべているのだろうか、それともディアッカが良く女に声をかける時ような薄ら寒い笑みを浮かべて? どれもぴんと来なくて、イザークは軽く首を振った。イザークがいつも見るアスランの表情は、緊張した顔と戸惑った顔くらいなもの。けれど彼は、一端軍務を離れるとぼーっとしている事が多いようだった。そのギャップがあまりに激しくて、イザークはひどく戸惑ってしまう。初めて見たときなどそれまでに抱いていた敵意が一気に抜け落ちてしまうくらいだった。 そう、あれはザフトの寄宿舎の屋上でアスランに遭遇した時。 少し一人になりたいと思ったイザークがたまたま行った屋上に先客として居たのがアスランだった。 仲良く談笑する気など全くなかった。しかし日頃から気に入らないと思っていた相手の後姿を認めてイザークが踵を返そうと思いかけた時、不意に簡素な屋上がイザークの想像を超えたメルヘンな世界になったのだ。 「・・・何、をしてるんだ」 数秒間の異世界が途切れた後、思わず口をついたイザークの言葉はあからさまに動揺の色が滲んでいた。 「あぁ。溶液の配合を調整しているんだ」 振り返ったアスランは訓練時の厳しい表情とは異なり、どこかほよんとした表情で答えた。アスランの前にはいくつかのビンが用意されており、彼の口から出た言葉もひどくまともな答えだったのだが、この状況とはひどくそぐわない気がした。 イザークとそれ以上の会話がないと分かると、アスランは静かに細い棒を口に銜えた。 彼の元からいくつもの泡が生まれ、それが陽の光を受けてきらきらと輝き出す。 いくら訓練時間ではないといえどもここは軍の施設なのだ。場違いな雰囲気にイザークは軽い眩暈を起こしそうだった。 ひとしきり泡が消えると、アスランはようやく顔を顰めているイザークに意識を向けた。 「すまない。イザークは嫌いなのか?」 わずかに考えて、その問が彼の手にしているシャボン玉を意味しているという事に気が付いた。嫌いも何も、子供の頃から人一倍プライドの高いイザークは、シャボン玉など女子供のやることだろうと自ら手に取った事などなかった。 「知らん。そんなもの、やった事もない」 「えっ?」 アスランは一瞬驚いた表情をして、それからすっとイザークの目の前にストローを差し出した。 「やってみるか?」 イザークは差し出されたストローとアスランとを見比べて思わずきょとんとしてしまった。 だがすぐさま我に返るとアスランの手を振り払った。 「馬鹿言うなっ。やらん」 イザークが大声で怒鳴るとアスランはしつこく強要はせず、自らストローを液に浸した。 「そうか。案外面白いと思うが」 アスランはそう言ってまた大きく息を吹き込んだ。 小さな光の珠が数多く宙に舞う。 途端に辺りに色彩が溢れ出した。 これくらい見たことある、と言いかけたイザークはしかし口を噤んでしまっていた。 風に揺られるシャボン玉は今までに見たこともなく輝いていた。そしてそれは光の中心にいるアスランを取り囲むようにして広がっては、呆気なく弾けて消える。 光のベールを纏ったアスランは全く違和感がない。これほどまでにこんなものが似合う男も珍しい、とイザークは改めてアスランを眺めた。悔しいが主席である実力は認め、納得もしていたが、それと同時にこんな男に負けるはずが無いという思いもあった。アスランはどこか軍人らしからぬ男だと思っていたが、その理由が彼の持つこういう雰囲気にあるのだと初めて具体的に理解できた気がする。 「キレイだろう?」 気が付けばアスランがイザークを見ていた。 思わず見惚れてしまったことが恥ずかしくて、イザークはフンと鼻を鳴らしただけだった。あの時素直にキレイだと告げたとて、何かが変わっていたとは思えないのだけれど。 「アスラン、今日が何の日か知ってるか?」 知ってるも何も、先程強引にチョコレートを渡されている現場をしっかり見ていただろうディアッカはしれっとした顔で尋ねてきた。ここで知らないと言える程アスランだって間抜けではない。 「バレンタインらしいな」 「そうそ」 そう言うとディアッカはアスランに大きな紙袋を手渡した。 「それ、女の子から頼まれたお前の分と、アイツの分だから」 「アイツ・・・?」 「俺が渡してやっても受け取らないんだ。俺になんとかしろなんて言ってどっか行っちまうし。だからお前が責任もってもらっとけよ」 「なんで俺が・・・」 「そこでとぼけるか?」 わかってないわけじゃないだろう?とディアッカは意味ありげに片目を瞑って見せた。 しかし本当のところ、アスランは全く分かってはいなかった。 ディアッカの言うアイツ、というのがイザークである事は分かった。しかしアスランがこれらを渡される理由までは思い浮かばない。 「・・・つまり、俺から渡しておけと」 「あのなぁ」 ディアッカはがしがしと頭を掻いた。 パイロットとしては優秀らしいが、アスランはどこか抜けているとしか思えない。 イザークとアスランが密やかに付き合っているという事は本人達から聞いた事こそないディアッカだが、そんな身近な人物達の関係に気が付かないほどに愚かではない。 「今日がカップルに取っちゃどういう日かってのは知ってんだろ?」 「・・・カップル?」 その言葉にアスランはようやく目を見開いた。 ディアッカに気付かれていたという事よりも、カップルという表現が自分達には全く相応しくない気がしてアスランは閉口してしまった。しかし言ったのがディアッカである以上、アベックとかステディーとか言われなかっただけマシかもしれない。 「知っていたのか・・・」 「まぁね。で、恋人持ちでバレンタインとくれば、やっぱ男なら本命ってのが欲しいだろ?」 「・・・俺だって男なんだが」 「そりゃそうだけどな」 ディアッカはなんと説明すればいいのやら、と腕を組んだ。我儘王子なイザークがこの男のずれた感覚に悩まされている様は普段からよく知っているだけに、アスランにイザークの男心を理解させるのは至難の業のようにも思える。 「もしかして、俺のせいで受け取らなかったのか」 ディアッカが考えているうちにアスランが意外そうに声を出した。よくぞ気付いた、と心ひそかに感心もしたが、冷静に考えればさすがに気付くだろう。 「簡単に言えばそうだろ」 「なっ・・・バカだな」 「せめて真っ直ぐって言ってやれば」 恋愛問題でアスランに馬鹿呼ばわりされるイザークがあまりに哀れな気がしてディアッカはさりげなくフォローした。 「イザークは何処にいる?」 「さぁ。ニコルもさっき探してたけど女避けにどっかに逃げてるらしいぜ」 「わかった」 アスランは足早にディアッカの元から立ち去った。 女避け、という事は人の少ないところにいる筈だった。迷わず思いついた場所へ足を向ける。 「バカだな」 もう一度小さくアスランが呟いた。 自分はディアッカのように密かに気遣ってやれるほど器用じゃないし、ニコルのように優しい気遣いだって出来ない。 だから、もしかして自分程イザークに合っていない人間はないのではないかとすら思う。 実際ずっと敵視されていたし、仲良くした事もない。 恋人は愚か友達としてさえ険悪な仲なのだから、本当は自分達が恋人と言えるような関係であるのかなどわかったものではない。 けれど自分にとってのイザークは特別な存在だった。ディアッカのいう事が本当ならばイザークにとっての自分もそうだと思って良いのだろうか。 階段を登りきり突き当たりのドアに辿り着いた。 普段は鍵がかかっているのだが、アスランはポケットから小さな小型マシンを取り出した。これには鍵開け機能が搭載されており、以前イザークにも強請られて同じものを作っている。(ちなみにハロは煩いからと却下された)。 ドアを開ければ、果たして探し人はそこにいた。 「イザーク」 近寄るとイザークが振り返り、アスランの手に下がっている紙袋を見て顔を顰めるのが分かった。思わず駆けて来たアスランだったが、これをもってきたのは失敗だったと今更ながらに気が付く。だが、見られてしまったものは仕方がない。 「・・・俺は男だし、チョコなんてないんだ」 唐突なアスランの言葉にイザークはちょっと驚いたような顔をした。 「そんなもの要らない。妙な顔するな」 アスランはどんな顔をしてしまったのだろうか、ときゅっと唇を引き結んだが、イザークが予想よりも苛立っていない様子でほっと安堵した。 結局ディアッカも自分も考えすぎだったのだろう。 イザークとアスランはやはり恋人同士というほどのものではない。イザークがアスランのために他のチョコを断っていた筈などなかったのだ。 「・・・そうか。変な事言って悪かった」 安堵とともに軽い失望感がアスランの胸に押し寄せる。だが、立ち去ろうとするアスランの手首がイザークによって捕まれた。 「待て」 不意に背中から抱きしめられた。 「たまには大人しくしていろ。お前はいつもふわふわしているから」 ふわふわ?とアスランは不思議そうに聞き返した。ここは無重力空間ではないのだからアスランはちゃんと地に足がついている。 「イザーク?」 「お前が悪い。・・・お前がこんな所に来るから」 こんな所といわれても単なる屋上だ。イザークはたまにこうして悪戯にアスランに触れては、その度にこうやってアスランのせいにした。アスランが、もしかして恋人として扱われているのかもしれないと思ってしまうのもこんな気まぐれなスキンシップのせいだった。そうでもなければイザークの気持ちなど全く掴めない。 好き勝手に抱きしめたりするくせに人のせいにして、勝手なヤツだと思うのに腹が立つよりも寧ろ安心してしまうなんて、自分はおかしいのかもしれないとアスランは小さく息を吐いた。 「シャボン」 「・・・・え?」」 一瞬何の事だか分からずにアスランはきょとんとした。 「すぐに飛ばされてしまうくせに、捕まえることもできない」 その上脆く、壊れやすい。 イザークの言っているのがいつか屋上で見せたシャボン玉の事だとアスランにも思い当たった。 「好きなのか?」 意外だった。あの時イザークはシャボン玉など嫌いそうだったから。しかしイザークの事だから、子供の頃吸ってしまって苦い思いをした事が忘れられずに、自分では決してやらないのかもしれない。だからもしかして、見る事だけは好きだというのだろうか。 「嫌いじゃない」 素直に好きだと返されるとは思っていなかったから、あまりに予想通りな答えに思わず笑みが漏れた。 「確かにシャボンはすぐに消えるが、そしたら俺がまた吹くから」 それならいいだろう?、とアスランは言った。イザークが吹きたくないのなら自分が吹けばいい、と単純な話。とはいえイザークが吸ってしまった云々はあくまでアスランの仮説である。イザークのためにいつかチョコレート味のシャボン液でも作らなくては、などと考えているアスランはやはりイザークの気持ちなどには全く疎い男であった。本当にイザークが危惧しているのはなんであるかなどやはり分かった風もないけれど、しかしその答えは存外イザークの望みに近かったのかもしれない。 「・・・そうか」 抱きしめる腕に力を込めれば、アスランの腕からストンと紙袋が音を立てて落ちた。 袋の中身は確認しなくてもおそらくチョコレートだろう。 こんなナリだし、中身もマジメだし、女達にさぞやもてることだろうとイザークは客観的に思いながらも苦々しくアスランの肩に顎を乗せ地面の紙袋を見下ろした。 チョコレートを受け取って欲しいと言われた時、この男はどんな風に応じたのだろう。 そういえば、好きだとかそういった類の事は言ったこともなければ言われたこともない事にイザークは今更ながら気が付いた。 だから、アスランの反応にひどく興味がそそられた。 拘束の手を少しだけ緩めると、アスランはそっとイザークの頭を抱えるように手を回した。イザークの頭を引き寄せるようにしてアスランがそっと耳元に唇を寄せる。 アスランが何か言おうとするのが分かったが、それを聞くよりも先にイザークも口を開いていた。 自分達はいつだって驚くほど噛み合っていない。 小さく息を吸い込むと二人は同時に言葉を紡いだ。 「「 」」 甘い言葉なんてついぞなかった。 チョコレートなんてきっかけだから。 だから今日だけは、ホントの気持ちを。 イザアスバレンタイン。 あまりバレンタインっぽくはないですが。イザアスのマイテーマは苦さとか痛さだったのに(←オイ)バレンタインなので少しはそんな感じではありません。ディアッカが程よくいい人ですね。 書いてる途中で20話見て、あのシャボン玉アイキャッチはあの日クライン邸で撮影してたのかーと思いつつこんな話を書く私は相当頭が歪んでます。そういや食べれるシャボン玉があるそうですね。いつかイザークにも食ってもらいましょう。 |
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