感嘆の溜息、感動の涙、割れんばかりの拍手で舞台は無事終了した。 観客の多くはまだ舞台の余韻に浸り、その舞台裏では予想以上の出来栄えに関係者一同が肩の荷を降ろし、ほっと胸を撫で下ろしている頃である。 だがそんな中、主役二人は何故か息も荒く走る羽目になっていた。 「クレイン、大丈夫か?」 「は、はいっ」 ふわりと広がったスカートが邪魔で走りづらいのか、スピードの出ないクレインの腕をパーシバルは強く引いた。クレインの靴はとっくに捨て去られ、今は裸足で駆けている。 「す・・ません・・・」 苦しそうなクレインの様子に舌打ちすると、パーシバルはそのままクレインの腕を引いて走り出した。 「何・・・で、追われて・・・るんでしょう」 「さぁ・・・な」 後説の間に舞台から下りた二人は他の出演者同様、着替えのために控え室に戻ろうとしていた、筈だった。 だが、移動している最中にどこから沸いてでたのかという人数の人波が黄色い声を上げながら向かってきたのである。 警備の者は何をしている、と言いたいところなのだが、生憎と軍の者の多くはこの劇のスタッフとなってしまっている。ただでさえ警備が手薄な上に相手は手に負えそうもない集団だった。どう見たって一般市民である以上手荒な事もできないし、かといって油断すればあっという間に蹴散らされてしまうだろう。 「どっちへ行ったのかしら」 「曲がったんじゃない」 キャー、という歓声とともにバタバタと足音が遠ざかる。 二人は廊下隅の隙間で息を詰めて足音をやり過ごすと、そのまま壁伝いにずるずると腰を下ろした。 「す、すみません」 まだ手を取られていた事に気づくとクレインはさっと離した。 「ひどい目にあったな」 「本当に。終わったとたんに追われるなんて思いもしませんでした」 クレインは瞳を閉じてゆっくりと呼吸を整えた。そしてやっとこの女物の衣装から開放されると思ったのに、未だに着替える事も出来ない状況に深く溜息をついた。 「本当に感動いたしましたわ!!!」 「私もです。もうあのシーンなんて!!」 こちらは演劇の後の晩餐会会場である。 晩餐会では久々に遭う仲間との積もる話もそこそこに、先程の舞台の話で持ちきりとなっていた。 ギネヴィアとリリーナはまだ感動覚めやらぬ様子で、場面ごとに回想しては盛り上がっている。 「ところで、主役の二人はどうされたのですか?」 当然この場に居合わせるはずの二人が見えないのに堪り兼ね、ロイはセシリアに尋ねた。舞台の成功の立役者ともいえる女騎士は、大成功にも関わらず難しい顔をしている。 「お二人は・・・その、舞台が終わった直後、熱狂的なファンの方々に追われて何処かへ逃げたところまでは目撃者が居るのですけれど・・・」 その後は行方が知れない、と言うわけである。 「舞台は大成功だったが、些か警備体制に問題があったな」 側に居たミルディンが苛立たしげな声を上げた。王として賓客をもてなさねばならない立場だというのに、なかなか現れない二人にミルディンは落ち着かない気分を抑えきれずにいた。エトルリアの王として舞台が終わったら一番に賞賛の言葉を掛けようと密かに思っていたし、ミルディン個人としても早く会いたい気分で一杯なのである。 「心配ですね」 ロイも戦場で二人の強さをしっているのだから本気で何かあるとは思えないが、やはり気にはなる。 何より一刻も早く二人に会いたいのだった。それは以前の仲間としての友情と、そしてこっそりファン心理として。 「ちゃんといらっしゃいますよね」 ギネヴィアは不安げにセシリアに尋ねた。 「はい。恐らくは」 「では、ゆっくり待つとします」 「セシリアさん。じゃあ、それまで舞台の裏話なんて聞かせてもらえませんか?」 「まぁ、そんなのあるんですか?」 「ステキ」 「それは私も是非とも聞きたいな」 ロイの提案にギネヴィアやリリーナは歓喜の声を上げ、ミルディンまでも目を輝かせた。 「えぇ、お二人がいらっしゃらないのだから仕方ないですね。ではあちらで焼菓子でも頂きながらお話しましょうか」 ウキウキとした皆を促しながら、セシリアは一体何を話そうかしら、と一人不穏な笑みを浮かべた。 ひとたび控え室の方へ向かえば追われる、という状況を何度か体験した二人は諦めて人気のない場所で落ち着く事にしていた。 晩餐会の方はとっくに始まってしまっているだろうが、そちらの方ではこれと言った役割があるわけではないので遅れても構わないだろう。せいぜい折角の料理を食べ損なうくらいのものだ。 クレインは取り敢えず重たい鬘を外して少し楽になった。 「パーシバル様、大人気ですね」 「馬鹿な事を言うと今度は置いていくぞ」 「勘弁して下さい。こんな格好で彼女達の前に出たらどんな目に遭うか」 一般市民でさえ跳ね飛ばしそうな勢いだというのに、ジュリエット役の自分は一体どんな恨みを買っているか分かったものではない。 クレインが苦笑を浮かべるとパーシバルが心底嫌そうに顔を顰めた。 「お前、あの集団の中に男が居たのを見なかったのか」 「そうでしたか。そんな余裕がなかったものですから」 将軍は男性にも人気がありますからねぇ、と大マジな顔でほざくクレインにパーシバルは溜息を漏らした。あの中の半分またはそれ以上がクレイン目当てである事は明白だというのに、クレインは頭からパーシバルのファンだと思い込んでいるらしい。 「そういえば皆いつも以上に熱演でしたね。ダグラス将軍なんて今日は目線で射殺されるかと思っちゃいました」 「いつもと一番違ったのはクレインだろう」 「そうですか?まぁいつもがあんまり下手でしたから」 そう言って微笑うクレインをパーシバルはまじまじと見つめた。 本当に、散々練習で見慣れているというのに、今日はいつもと違って見えた。 それは果たしてこのクラリーネご推薦の衣装のせいなのだろうか。今着ている薄紫のドレスは純白のそれよりも一段と艶めかしい雰囲気を醸し出しているし、もしかしたらこの整った顔に施された薄い化粧のせいなのかもしれない。 パーシバルはじっくりとその顔を凝視して、誘われるように赤い唇に指を近づけて軽く触れた。 クレインは吃驚したようにパーシバルを見返す。 「口紅くらい落とせ」 パーシバルがそう言うとはっと気づいたように唇を噛んだ。 「・・・忘れてました」 『唇は、まだ温かいのに』 じっとその唇を見つめると、不意にジュリエットの台詞がパーシバルの頭に浮かんだ。 拭き取ろうと持ち上げかけたクレインの手をパーシバルの手が軽く制し、空いている方の手で柔らかな唇を強くなぞった。 「え?」 思いもよらない行動だったのかクレインは小さく声を上げた。 「あ、すみません。落ちました?」 クレインは拭き取られた事に動揺を隠せないまま、それでも律儀に礼を述べた。 「・・・いや、まだだ」 クレインの首筋にそっと手を掛けると、次の瞬間パーシバルはまだ赤みの残る唇に自らのそれを重ねた。 それはほんの一瞬。 しかしクレインは呆けたように固まった。 「あ・・・の?」 クレインはようやく声を上げたが、それ以上言うべき事が見つからない。 「さっきは手を抜いただろう」 それがキスシーンの事を言っているのだと気づくのにクレインはしばし時間を要した。 確かにキスシーンは顔を寄せただけで、後はうまくアングル的に誤魔化していた。 だがそれは練習の時からそういう打ち合わせだったわけだし、例えそれが手抜きだとしても、今更キスされる理由はない。 「もう・・・劇は終わったんですよ」 「そんな事は知っている」 クレインの諭すような言葉に平然と言い返しパーシバルの舌がクレインの唇をなぞった。その感触にクレインは身を震わせた。 こんな風に身を隠しながら体を寄せ合っているのは、ひどくいけない事をしているようで、クレインは慌てて腕を伸ばして体を離した。 「劇は終わったから。もう、許されない・・・です」 自分達は劇中の恋人。 許されざる恋人の役は終わり、だからこそもう偽りの睦言さえ交わすことはないのだ。 舞台が終わってしまった自分は美貌の令嬢などではなくただの男に、目の前の人はエトルリアが誇る騎士軍将に戻った。 クレインはただパーシバルを敬愛する人間の一人で、それ以上でもそれ以下でもない。 「クレイン」 パーシバルははっきりと名前を呼んだ。 「なら、諦めるのか?」 ・・・諦める? 問われた意味を測りかねてクレインは瞳を揺らした。 「お前はそれで良くても、私は御免だ」 自分で問うておきながら返事も待たずに、パーシバルは強くクレインを抱き寄せた。 不本意にも、練習中にすっかり慣れてしまった腕の中の熱にクレインは安堵する。 狡い人だと思う。分かりやすい言葉は何一つないのに、クレインの心を惹きつけて止まない。 こんな行動はクレインに誤解を与えるばかりなのに。 「僕、男なんですよ」 重要な秘密を告白するかのようにそっと囁くと、何を今更、と呆れたような声が吐き出された。 「でも・・・」 「でも、なんだ?お前の家と私の家は敵同士だとでも言うつもりか?」 ぴしゃりと言い除け、まだ何か言おうとするクレインの唇を、それ以上の抵抗は認めないというようにきつく塞いだ。 劇中の二人は何もかも捨てられたのに、 現実はそれほど単純でもない。 自分達は男で、エトルリアの騎士として捨てきれぬ役割があって。 けれど。 「パーシバル様」 抱きしめられたその背に腕を回した。 今はただ、劇か現実かなんてどうでもよかった。 処は花のエトルリア。 一つの物語は幕を閉じ、そしてまた、新しい恋の物語が生まれる。 ご精読ありがとうございました。
こう、美麗なパークレのイラストなどが描ければ皆様の萌えももうちょっと膨らみましょうに、へたれな文のみでお粗末でございます。 恋愛物としては大変生ヌルイ話でしたが、二人の本当の物語はこれから、という事でご勘弁を(逃) それでは、今度は大人なパークレを目指して、私は精進の旅へ。 |
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