真昼間の執務室。 軽やかな扉のノック音の後、ゆっくりと扉が開かれた。 「将軍?どなたかおいでではありませんでした?」 入ってきたクレインの部下は部屋を見回して誰もいないのを確認すると不思議そうに尋ねた。 「いや、一人だ」 「そうでしたか。声がしたような気がしたのですが」 「気のせいだろう」 「あぁ、もしや劇の練習ですか?」 部下はそう言うと急に目を輝かせた。劇があると言うことは城中に知れ渡っているが、詳しいことは何一つ公表されていな いため、人々の興味と期待は余計に膨らんでいるという状況だ。 「クレイン将軍も出演なさるのでしょうか?」 「一応秘密事項なんだが」 出る事くらいは言っても構わないだろうと判断して、クレインは否定しなかった。 「楽しみです」 「期待しないでくれ」 うきうきとした部下は書類を渡すと、お忙しいでしょうからと言ってさっさと部屋から出て行った。 「もう行ったか?」 クレインがしっかりとドアの鍵を閉めると、窓の方から声が掛かった。 「隠れる必要があったんでしょうか?」 咄嗟に机の下に隠れたパーシバルだったが、彼がこの部屋にいること自体は別におかしく無いはずだった。 「今は演劇の事で敏感になっている。用心に越したことはないだろう」 どういう訳かセシリアの他言無用は出演者達には徹底されており、未だ配役などは一切漏れていない様子だった。練習も日 を追う事に、微妙な時間、場所を選んで巧妙に行われている。 クレイン達役者組とは別に裏方組によって大道具等もどこかで着々と作られているらしいのだから、セシリアの手腕には驚 かされるばかりである。 「パーシバル様もお忙しいのに、こんな所までおいで頂いて申し訳ありません」 「気にするな。お前の練習にはしっかり付き合うようにセシリアにも言われている」 パーシバルは先日の特訓以来、暇を見つけてはこうしてクレインの練習に付き合ってくれていた。先日は投げ出したい程に嫌がっていた筈なのに、何故そこまで熱心なのかはクレインには甚だ疑問な所である。 「中断してしまった事ですし、将軍も仕事があるでしょうから、そろそろ切り上げましょうか」 「コレも仕事だがな」 「そうかもしれませんが。でも、きっと部下の方が探してますよ」 パーシバルは無言で扉の方へ進んだ。出て行くのだろう、と思いきやクレインの側まで歩み寄ると、手を伸ばしてそっとクレインの頬に触れた。 『この満たされない心のままで、別れろと仰るのか?』 クレインは咄嗟の事に驚いて思わず頬を染めた。 「ちょ・・・っ。パーシバル様、すっかり役に入り込んでませんか?」 「お前は足りないな。セリフの一つでも返してみろ」 パーシバルはそう言ってじっとクレインを見つめた。 練習はまだ続いていたのだと理解し、クレインは頭の中でセリフを思い出す。 『私の誓いはもう差し上げてしまいましたが、出来るならもう一度差し上げたい』 クレインがそう言うと、パーシバルはふっと視線を外して扉へと向かった。 「夜の練習までにはその顔を何とかしておけ」 「顔・・・ですか?」 「いちいち次のセリフを考えてるんじゃない」 言われてクレインははっとした。確かにいつもセリフを考えているが、どうやらそれが顔にまで出ているらしい。 逆にパーシバルは感情がこもった演技をしない反面、セリフに不安があろうが間違えようが一切表情には出ていない。クレインには羨ましい限りである。 「なんだかセシリア将軍みたいな指導ですね。演劇に目覚めました?」 「そんなわけないだろう」 例えが悪かったのか、パーシバルは冷たい声で否定した。 「恋人の前で他の事を考えているような顔をするな」 クレインは成程と納得した。 「こういう所で経験がものを言うんですね」 嫌そうに眉根を寄せるパーシバルに、善処しておきますと言ってクレインは扉を開けた。 『では百倍にも千倍にもご機嫌よく』 儚げに微笑んで送り出すクレインに、パーシバルは思わず目を瞠ってしまった。 未だに演技に照れが入るクレインだが、稀にこういう顔をする。 演技・・・か。 自分で注意しておきながら、自然に演技をされるとパーシバルは何故か落ち着かない気分を感じるのであった。それがどういう事なのか、パーシバルは理解する前に細く息を吐いて考える事をやめた。 親善パーティまで残す所数日。 城内ではパレードや会談、はたまた夕食会の準備などに追われ人々が慌しく動いていた。余興係のセシリアも下準備は順調。練習も一通り終わり、役者達はほぼセシリアの思惑通りの演技になってきていると言える。 万事好調とは言えないかもしれないが、城で集めた即興のメンバーにしてはよくやっていると思う。 練習を終えたメンバー達を見回しながら備え付けの椅子に体重を預け、セシリアはふぅと大きく息をついた。様々な準備によって隠れて練習する場も少なくなり、本日は特に狭い一室での練習である。 「疲れてるのか」 軽く後片付けをしていたパーシバルが声を掛けた。いつになくセシリアが大人しいので気になった様子である。 「さすがに。でも練習できるのも後少しですし、気合を入れて行きませんと」 パンパンと自分の頬を両手で軽く叩くセシリアに、これ以上どんな気合を入れるというのか、とパーシバルは些かうんざりした顔を見せた。 「通しで練習できないのが残念ですわね。シーンごとの練習では皆さん完璧なまでの演技ですもの、心配要らないのでしょうけど」 「・・・ぶっつけ本番か。どうなるだろうな」 「いざとなったら役者の方の技量にかかりますわね。アドリブでも何でも切り抜けてもらわないと」 「私には出来んぞ」 「あら、パーシバル将軍もなかなかよい素質がありますわよ。本来のロミオのキャラクターからはだいぶ変えてくれちゃってますもの」 「文句があるなら降ろせ」 悪戯っぽくからかわれパーシバルは不機嫌に言い放った。 「いいえ、文句など。寧ろ満足してますわ」 言葉通り、セシリアの表情は大変満足気だった。この一見穏やかそうな総監督は、満足いかない演技をしようものなら遠慮なく冷たい眼差しを向けてくる。おまけに真面目な分仔細に拘るというか、採点が辛いものだから、パーシバルとしては珍しいお言葉を頂戴したのである。 「クレイン将軍の方も最初に比べると見違えますわね。パーシバル将軍の特訓が効いているのかしら。そういえばクレイン将軍、パーシバル将軍が妙にやる気だと不思議そうに仰ってましたよ」 「私が?」 「えぇ」 パーシバルは少し離れた所でダグラスと話し込んでいるクレインを見遣った。 自分の知らない所でそういう話をされるというのは複雑な気分である。 「・・・練習に付き合うくらいは悪くないだけだ」 パーシバルの意外な言葉にふふ、とセシリアは笑った。 「悪くない・・・ですか」 「何だ、不満か?」 「いいえ。その調子で本番までちゃんとお付き合いくださると嬉しいですわ」 考えておく、とパーシバルはうっすらと疲労の色を滲ませた表情で答えた。 本来の仕事に加え、合い間を縫ってのこの練習には皆それぞれに疲労が溜まってきているのだろう。 セシリアはさっと椅子から立ち上がると早々に解散を命じた。 役者達の疲労は少しでも残さない方が良い。万が一体調を崩したり、怪我でもされようものなら全てが水の泡になる。セシリア自身の負担も大きく相当に疲れていたが、精神的には大変充実しているために苦にはなっていなかった。 成功、させなければならない。 国のため、皆のため、密かに己の満足のため。 セシリアはある意味有難い、ある意味大変迷惑な使命感を募らせた。 そして、本番も明日に迫ったその夜。 「何用でしょうか?」 ミルディンに呼びつけられたパーシバルは、夜更けの呼び出しを不審に思いながらも私室へと赴いていた。ミルディンは部屋着に着替え、ワインを傾けながら寛いでいる。仕事を言いつけたい、というわけではなさそうである。 「相変わらず冷たいな」 ミルディンは長い髪をゆるゆると指先に絡ませながら楽しそうに笑った。 アルコールのせいか随分と機嫌が良いらしい。 「セシリアから準備万端だと聞いたよ。パーシバルも出るらしいね」 「・・・秘密厳守の筈ですが」 「厳しい事を言うな」 渋い顔をするパーシバルにミルディンは苦笑した。 「詳しい事は何一知らないんだ。お前が出るという事だって、先程ようやく聞く事が出来たんだしね。全く、秘密裏に進めようとは確かに言ったが、私まで除け者にされて悲しい限りだよ」 「セシリア将軍は何と?」 「パーシバルがしっかりやるように励ましてやってくれと言っていたよ。私が言えば逃げられないだろう、とね」 早い話がセシリアの策略か、とパーシバルは嘆息した。パーシバルが敬愛して止まないこのミルディンには逆らえない事をしっかりと利用されている。 直前に姿を消せば、というパーシバルのセリフはしっかり聞かれていたようである。あんな冗談とも本気ともつかない言葉にまで手を回してくるとは、侮れない女だと改めて思わずにはいられない。 「今更逃げも隠れもしません」 「頼もしいな。期待しているよ」 「ご期待に添えるとは思えませんが」 「構わない、お前は騎士なのだからね。パーシバルの演技が見られるだけで私は嬉しいよ」 ミルディンは満足そうに微笑んで言った。あまり知られてはいないが、ミルディンのこういう笑みは性質が悪い。 「お話が済みましのなら、そろそろ失礼します」 「あぁ、楽しみにしているよ」 トドメのように掛けられた言葉に肩を落としながらパーシバルは部屋を後にした。 前日は早く寝ろとの通達があったものの、パーシバルは穏やかな睡眠を迎えられそうにないと感じていた。 一方、リグレ家の一室。 「お兄様、頼んでいた衣装ができましたのよ」 白いフリフリのドレスを見せ付けられてクレインはゲンナリとしていた。 「さ、試着して見て下さいな」 「今・・・着るのか?」 「出来るのがギリギリなんですもの。直しが必要なら今晩中にやらねばなりませんから、サイズあわせだけでもお願いしますわ」 クラリーネは明らかにウキウキしていた。 幸いにも、というか不幸にも、というべきか。サイズは見事にピッタリだった。胸元にはふっくらとした詰め物まで用意されて、さらには見事な金髪の鬘まで準備されていた。 「衣装換えがありますから、明日はもっと素早く着付けませんとね」 「着替えるのか・・・」 「大丈夫ですわ。わたくしがしっかりお手伝い致します。さ、お兄様はもうお休みになってくださいまし」 クラリーネに早々にベッドに押し込められたものの、明日はあれを着るのか、とクレインは気を重くした。そうして役に就いてからもう何度目かの、眠つけぬ夜を過ごすのだった。 まだ練習中です。
微妙な進み具合ですが、心情的には歩み寄ってるのではないかと。 |
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