差し出されたその表紙を見た時、クレインはまだ自分の身の上に起こった事が理解できずにいた。 「・・・はい?」 間の抜けた返事をしてそれを受け取り、中身をぱらぱらと見る。 「役が当選いたしました。おめでとうございます、ジュリエット役ですわ」 クレインはしばし考え、告げられた内容を理解して絶句した。 今、なんと言ったか・・・。 「・・・セシリア将軍?」 はい、とセシリアはにっこり返事を返す。やんわりとした微笑みだが、その表情に逆らい難い何かを感じたのはクレインの気のせいではないだろう。 「あの・・・本来この役は女性がやるのではないのでしょうか?」 本来も何も配役表には『ジュリエット・・・悲劇の”ヒロイン”』としっかり書かれていた筈なのだが、セシリアの気迫に押されたクレインは遠慮がちに尋ねてみた。 「そうですね。確かにジュリエットは女性ですが、投票で決まったわけですから」 クレインの軽い拒否は有無を言わせぬ物言いで切り捨てられた。 「クレイン将軍はちゃんと男性役の方も票を集めていたのですけれど、残念ながらあと一歩及びませんでした」 「それは・・・残念です」 それ自体には大して興味もないのだが、こうして女性役を与えらてしまった今となっては、非常に残念としか言いようがない。 クレインは台本をぱらぱらと捲りながら、その台詞の多さにも眩暈を覚えた。 「ものすごく・・・自信は無いのですが・・・」 「そうですか?では私が特別に特訓して差し上げましょうか?」 セシリアは恐ろしい事を言ってのけた。 「そういう事ではなくて、私には受けかねます」 遠まわしな表現は通じないと諦めてクレインはキッパリと辞退することにした。 「・・・国を、愛してはいないのですか?」 「えっ?」 「エトルリアの未来を左右する大事な行事ですのに、参加できない、と?」 国を持ち出されては真面目なクレインに反論の余地はなかった。 「そういうわけではありませんが、この役は私には少々荷が重過ぎます」 「とは言われましても、代わりの方がいらっしゃいますの?」 セシリアの言葉にクレインは思考をフル稼働させて考えた。ここでいないなどと言えば間違いなく引き受けさせられる、と本能が告げている。 「クラリーネに代わってもらっても良いでしょうか?」 「まぁ・・・クレイン将軍が出来ないと仰るのはとても残念ですけれど、クラリーネというならば仕方ありませんわね」 咄嗟に妹の名前を口にしたのだが、セシリアには思ったより難色を示した様子が見られず、クレインはほっと息を吐いた。 「では、クラリーネの確認を取るまで仮決定という事にしておきますわ」 クレインは今ほど妹を持ったことに感謝した事はなかった。 そうして、一日の業務を無事終えるとすぐさま屋敷へと戻ったのだった。 「まぁっ!!」 クラリーネは兄の不幸を聞くや否や、開口一番歓喜の声を上げた。 「本当に、お兄様が?」 「ええ、2位を大きく突き放しての堂々の1位で当選です」 しっかりリグレ家まで着いて来ているセシリアが、嬉しくもない事を事細かにクラリーネに説明している。 「それで、セシリア将軍はどういった用件でいらっしゃいましたの?」 セシリアがわざわざクラリーネに報告しに来ると言う事態を不審に思ったのだろう。クラリーネは尋ねた。 「お願いだ。クラリーネ、是非僕と代わってくれ」 セシリアが何か言うより先にクレインが叫んだ。 クレインが当選したと聞いてこんなに喜んでいるのだから、クラリーネがジュリエットに憧れを持っていることは確かだろう。それに、エトルリアの貴婦人を目指すクラリーネが悲劇のヒロインをやりたがらないわけがない、とクレインは思っていた。 だが、それまで嬉々としていたクラリーネの表情がさっと曇った。 「え・・」 「クレイン将軍がどうしても嫌だと仰って。こういった事は許されないのですけれど、特別にクラリーネなら、という事で交代を認めることにしたのです。どうしますか?」 「そんな・・・!」 いつもハキハキとしたクラリーネが珍しく言葉を詰まらせて俯いた。 「お兄さまが、お兄さまが・・・そんな人だったなんて!皆様がぜひお兄さまにと・・・お兄さまにそふさわしい大役と認めてくださいましたのに。それを裏切るというおつもりですか!?」 そんな大げさな・・・とクレインは思ったが、すっかり陶酔しきったクラリーネに言い出すことはできなかった。 「・・・つまりは、交代はなさらない、と?」 何も言えないクレインの代わりにセシリアが口を挟んだ。 「ええ。これはきちんとクレイン兄さまがなさるべきですわ!」 「クラリーネ!貴女は物事の真髄をよく理解してますのね」 「だって、セシリア将軍もそう思われますでしょう?」 「ええ、勿論!」 2人はなんだかえらく意気投合してがっちりと手を取り合った。 女のいがみ合いは恐ろしいのでケンカされるより数倍良いのだが、クレインにとっては最悪の事態となっていた。 「引き受けて頂けますわね」 「・・・待ってください、他の方にも・・」 「クレイン将軍。役については秘密厳守です。これ以上他の人に公言するわけにはいきませ んわ」 クレインはうまく言い返すことが出来ずに口篭った。 「というわけで、頑張ってくださいねv」 2人ににっこりと微笑まれて、逃げ場を無くしたクレインは最早頷く道しか残されていなかった。 「そうですわ、セシリア将軍。衣装などはどうなっていますの?」 「まだ具体的に準備はしていませんが、クレイン将軍の衣装は体格の合いそうなどこかのご令嬢からお借りしようかと思ってますが」 「まぁ・・いけませんわ!!折角の舞台なんですもの。そうですわ!お兄さまの衣装はわたくしが考えてもよろしいでしょうか?わたくしもエトルリアのために何かお手伝いしたいですわ」 「ええ。それは喜んでお願いします」 「ご安心下さいませ。わたくしのセンスでお兄さまを大陸一美しくしてみせますわ!!」 かくして、クレインは下手に妹を頼ろうとしたばかりに余計なやる気を起こさせる羽目になってしまった。げんなりとした顔のクレインをよそに、クラリーネはうっとりとしたような表情を浮かべ、セシリアは一仕事終えたようなすっきりとした面持ちである。 この夜ほどクレインが妹を持った事を後悔した事はなかったという。 そんなわけで役を与えられてしまったクレインは、去り際に「きっちり暗記してくださいね」と言ったセシリアの表情を思い返しながら暇さえあればしっかりと読み込みを行うという日々を送っていた。台本を読み進めるだけで心身ともに憔悴し始めている。 そして、そんなクレインの元にもついに矢文が訪れた。 『第3倉庫に来られたし』 まるで果たし状の如きそれはクレインの心をさらに重くした。 思い足取りで倉庫に行けば、そこでダグラス義親子の姿を見つけた。 「ダグラス将軍・・・あなたまで招集されたんですか?」 「おまえもか」 「しかも、親子で参加ですか?」 「あぁ、ワシらも今知ったところで驚いてる」 どうやら2人はお互い律儀に秘密を守っていたようである。 倉庫に集められたのは数人で、いずれもキャピュレット家の面々だった。 やがてセシリアが現れ配役を紹介していった。 「・・・将軍がジュリエットの父親役なんですか!?」 「お前こそ、娘役とは驚いたな」 小声でダグラスに確認すれば頑張れとバシバシ肩を叩かれ、クレインはすっかり気を落とした。 ジュリエットをやると決まった時から、ダグラスは知られたくない人物の1人であったというの に、それを早速に知られ、その上、父娘として共演せねばならないとは苦痛としか言いようがない。 「将軍がキャピュレット伯ならジュリエットはララムが適役なのに・・・」 クレインは本気で配役を疑問に思い始めたが、無常にも練習は開始されてしまうのだった。 「お嬢様〜〜」 クレインの乳母役はどういうわけかララムである。 世話焼きのララムにはある意味適役だが、いかんせん年頃の女の子である。年頃の娘相手に婆や呼ばわりはクレインも気が引けた。しかしララムの言ではこういうのは寧ろ妙齢の人間にやらせると角が立つのだそうだ。役者でもない城仕えの人間で舞台をやるには色々な配慮が必要らしい。 「わ・・・私はここで、す・・・わ」 気が引ける云々よりも、女言葉が上手くできず、クレインは台詞の度に躓いていた。 その度セシリアから鋭い視線が、あるいは厳しい指導が飛んでくる。 こうしてクレインが神経をすり減らしていくうちに練習時間はようやく終わりの時を迎えた。 「クレイン将軍。しっかり、自習をお願いしますね」 総監督セシリアにすっかり目をつけられてしまったらしいクレインは、セシリアの台詞を胸に突き刺しながら倉庫を後にした。 だが本質的に問題はもっと別な所にもあった。 確かに”女役”と言う事がクレインの重荷となり自尊心をも傷つけられていた。だが、ジュリエットは女である以上に主人公の一人であり、この悲劇は主人公達のラブストーリーであったと言う事をクレインは失念していた。 それを思い出させてくれたのは、翌日に執務室の壁に見事に刺さったいつもの矢文であった。 『ロミオとの練習を行います』 それを見て始めてクレインは自分が重要な事を忘れていた事に気付く。 (ロミオは誰なんだろう?) 今まで気にしなかったのが嘘のようだ。相手はクレインの劇での運命を握る重要人物なのである。クレインの演技がどうしようもない以上、舞台の成功はロミオの演技いかんとも言える。いや、舞台の成功は大事であるが、そんな事よりも彼はジュリエットの恋人役なのだ。 候補になっていそうな若い騎士を何人か思い描いてはクレインは重くため息を吐いた。 いくら劇とはいえ彼らを前に愛の言葉を吐くなど、とても正気ではできそうもないと感じる。 明日はロミオと練習をしなければならない。 クレインは眠れぬ夜を過ごすのだった。 ようやくクレインが登場です。
3話くらいとか言っておきながら。
しかも無意味に抵抗させたら話が進んでません〜。 ところで、クレインをなんと呼ばせたら良いのかわからずに結局将軍のままです。クレインは戦後武官になったのだから将軍ではないのでしょうに。 クレインにはなんだか苦労をかけすぎて情けなくて申し訳ないです。 次はいよいよご対面です。よろしければ、もうしばらくお付き合い下さい。 |
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