はこの手をすり抜けて -3-





 ラケシスは無事マスターナイトになった。

「おめでとう」
「ありがとうございます」

 シグルド達が口々に祝の言葉をかけると、ラケシスが微笑みを浮かべた。兄の死後彼女が久々に見せるラケシスの微笑みを周りは満足そうに目を細めた。

「やっと笑ったな」
「え…?」
「ずっと塞いでいたから、心配していた」

 シグルドの言葉にラケシスは少し表情を固くしてすみませんでしたと謝罪した。

「謝る事なんてない。安心したよ」
「いつまでも塞いでいると兄様に笑われますから」
「…ああ。エルトシャンもきっと今頃ラケシスを見て喜んでいるよ」
「そう、ですね」

 ラケシスはもうエルトシャンの話をされても顔を曇らせず、まっすぐ彼方の空を見上げた。その向こうに兄を想ったのだろう。穏やかな表情を浮かべて兄様、と唇だけで囁いた。

『あぁ、喜んでいる。もっとも俺はこっちの方向なんだが』

 ハッキリとした声がキュアンの頭の中で響いた。
 エルトシャンがラケシスの側にいるのは最早いつものこととなってしまっているが、今日はちょっと事情が違う。今朝方から、起きているキュアンの意識に無理矢理割り込んでいるため、エルトシャンの声はキュアンにも聞こえている。

「確かに、エルトも喜んでいるな」
「そうだと嬉しいです」

 キュアンは真実エルトシャンの気持ちを伝えた。妙な言い切りはラケシスに励ましとしてしか取られなかったようだが伝えたことは事実である。

「ちなみに方向はこっちだそうだ」
『余計なことは言うな!』

 すばやくエルトシャンのつっこみが入った。ラケシスも今度は不思議そうな顔をしたので、キュアンは慌ててなんでもないと誤魔化した。
 だが突然シグルドがぽんと手を打ったのでラケシスのの意識はそちらへ向かうこととなり、キュアンは内心助かったと安堵した。

「そうだ、ラケシス。今晩は久しぶりに宴会でも催そうか」
「そんな。戦況が落ちついているとはいえ、あまり羽目を外さない方がいいですよ」

 ラケシスは遠慮がちに断った。もっともらしい理由だが、そればかりではないこともキュアンは知っている。おい、とエルトシャンがキュアンに呼びかけた。今夜の小さな祝賀会の予定はエルトシャンから既に聞かされていた。シグルドには悪いがここは助け船を出さねばなるまい。

「シグルド。皆の志気を高めるのにも宴会はいいと思うが、今晩なんて急な事じゃ準備が大変だろう。後日ちゃんと計画してやろう。それに…」

 シグルドが頷くのを確認するとキュアンはラケシスの方へ向くと微笑みかけた。

「今日はゆっくりエルトにでも報告してやるといい」




+++



 フィンの部屋を訪れた頃には日もとっくに暮れていた。
 準備をして待っていると言ったフィンの部屋へ向かうラケシスはなんだか心が弾んでいた。宴会をと言われた時には焦ったが、キュアンには感謝しなければと思う。

「狭いですけど我慢して下さいね」

 働きを買われて与えられたフィンの個室は、小さいながらもこざっぱりとしていた。テーブルの上は所狭しと茶菓子の用意がされている。
 フィンがイスを引いてラケシスを促した。

「おめでとうございます」

 そういうと二人はティーカップを合わせた。
 お茶会と大して変わらない、本当にささやかなパーティーだ。酒も料理も賑やかな音楽もないけれど、ラケシスは嬉しそうにありがとうと微笑んだ。

 「今日嬉しいと思ったの」

 静かに話し始めたラケシスの話をフィンは黙って聞いていた。

「私、エルト兄様を失ってしまってから何もかもどうでもいいと思っていた。生きていくことさえ苦痛だった。でも、…生きていこうって思って、何ができるのかって思って、マスターナイトって言う目標に向かって頑張ったの。それをようやく成し遂げて、今日は本当に嬉しいと思ったの。なんだかようやく兄様にも認めてもらえるような気がした。…ねぇ、どうしてこんな風に思ったか分かる?」

 答えを求められてフィンはちょっと考える仕草を取った。

「きっとラケシス様は強くなられたんですよ。身体だけじゃなく、心も」
「そうかしら。私の心はまだ弱いわ」
「でもエルトシャン様を亡くしたな悲しみを乗り越えられれる強さをお持ちです」
「…乗り越えた、かしら」

 ラケシスが複雑な表情を浮かべたのをフィンは見逃さなかった。

「忘れることと、乗り越えることは別です」

 フィンの言葉にラケシスは思わず息を飲んだ。

「…貴方ってどうしてそうなの?」
「はい?」

 どうして、彼は適切にラケシスの欲しい言葉をくれるのだろうと思う。

「…ラケシス様は、エルトシャン様のことを本当に大好きですから。それは私にも良く伝わりましたから」

 フィンはラケシスの問の意味を掴みかねたが、黙ってしまったラケシスに向かって静かにそう言った。ラケシスは無性に泣きたい気分に駆られ口許に手を当てた。

「さぁ、お茶が冷めます」

 ラケシスの様子に気がついたのか、フィンは優しく微笑んだ。
 気を取り直してラケシスも微笑むとお茶菓子に手を伸ばす。よく見ると、並べられている物は皆ラケシスが好んでいる品ばかりだ。フィンはきっといつものラケシスの言葉や態度を覚えていて菓子を準備したのだろう。こんな所にもフィンの細やかな気配りを感じる。だが、今日はそれを痛いとすら思うのは何故だろう。
 
「いよいよ次の出陣になりますね」
 
 何杯めかのお茶をお代わりしたところでフィンが不意にそう呟いた。
 悲しみを乗り越え訓練に勤しんでいた束の間の平和がもうじき終わる。ラケシスは忘れていたわけではないが、その事実を思いだししばし呆然とした。

「もう、こうしてお茶を飲んだりするのも難しくなりますね」
 
 その言葉にラケシスははっとなる。先程まで浮かべていた笑みもさっと消え、弱々しい声で答える。

「…そう、ね」
「すみません、悲しいことを思い出させたいわけじゃないんです。また、戦いが始まると慌しくなる。だからこの時間を大切にしたいんです」 

 笑顔で言うフィンにラケシスは言い様のない気持ちになった。
 どうして彼は笑うのだろう。
 
 気が付くとラケシスは駆け出すようにして部屋を出ていた。
 部屋に戻り落ち着いてベッドに座り込むとフィンには申し訳ないことをしたと思う。彼が悪いわけではないのだ。ただ、自分が感じたやるせない気持ちを彼が感じていないと思ったらたまらなくなっただけだ。
 お礼をすると言ったのも結局反古にしてしまった事を思い出す。

「エルト…兄様」

 急に呼びかけられて、エルトシャンはどきりとした。だが、その存在に気付いたわけではない。ラケシスは溜息を一つ吐くとベッドサイドに置かれた大地の剣を抱えた。

「私、強くなりました」
『そうだな』

 エルトシャンは近寄って優しくその頭を撫でた。

「多くの方が私を心配してくれました。皆辛い思いをしているのに自分だけ悲しんで、そんな私にも優しくしてくれて、本当に幸せ者だったんです。だからこれからは皆の役に立てるよう、兄様に負けないよう生きていきます」

 敬虔な眼差しで剣に話しかけていたラケシスはそこで一息ついた。しばらく黙って剣を見つめたまま、やがて微笑んだ。その微笑みはどこか儚くて寂しげだ。

「私…最低です」

 ぽつりとラケシスは言った。多分先程の事を言っているのだろうと思う。

「最初にキュアン様と一緒に私の部屋に来てくれた時、フィンは兄様を忘れるなと言ったんです」
『・・・何だ?』

 いきなりの言葉にエルトシャンは思わず尋ねたが、当然返事はない。

「私は苦しんでるのに、忘れられたら楽になれるのに、って思っているのに。だから始めは酷い人だと思ったんです。でも、当たり前ですよね・・・」

 忘れられるわけがないです、と言ってラケシスはぎゅっと両手で剣を抱きしめた。
 エルトシャンは自分がいない間にラケシスが立ち直り始めていたことを思い返した。その間に何があったのかは分からないが、ラケシスは確かに生気を取り戻し、今に至っている。
 そして…


「私に残酷なことを言ったくせに、誰よりも優しくて。馬鹿みたいに気を使うくせに、私の事なんて何とも思ってなくて…」

 ラケシスの気持ちを打ち明けられて、エルトシャンはげんなりし始めた。たとえフィンが大事な妹の思い人であるとしても、どうしても妹を取られた感じがして憎らしい。ラケシスは彼から特別な感情向けられていない事を感じているようだから、ついこのまま何事もなく二人の関係が終わることを望んでしまう。

「突然飛び出したりして、ビックリしたでしょうね。自分でもどうしてか分からないけどあそこにはもう居れなかったんです」

 あの人の言うとおり楽しむべきだったのに、とラケシスは悲しそうに呟く。
 
「私、あの人を好き…かもしれないです」

 ラケシスの告白に少ししんみりはしたものの、今頃自覚したのかとエルトシャンは密かに嘆息した。



+++



 不意に空気が変化したと感じた。
 異様な、だがここ最近慣れさせられてしまった感覚だ。
 当たり前のように戻ってきたエルトシャンを受け入れるとキュアンは肩を鳴らしてソファに腰掛けた。どうも憑かれると言う状況は身体的負担があるようだと実感する。

「で、どうだった?」
『なにがだ』
「ずっと付いてたんだろ。邪魔してたのか」
『煩い。俺は何もしていない』

 実際、エルトシャンは稀にみるほど大人しくしていた。

「祝の席で何かあったか?やけに不機嫌だな」
 
 エルトシャンはそれには答えず、ふん、と鼻を鳴らした。

『…俺の考えが決まった』
「そうか」
『協力してくれ』

 不機嫌なその様子からエルトの考えを察してキュアンは苦笑した。どうせ、ラケシスからフィンを離そうとする手立てを考えたのだろうと。
だから、続くエルトシャンの言葉にキュアンは心底意外そうな顔を示した。


 






 
::: To be continued :::



だいぶ間があきました。やばいです。
意味もなくシグルドを出してみましたが大したことはさせられませんでした。
内容、だんだんフィンラケっぽくなって来てませんか。





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