シグルド軍にエルトシャンの訃報が届いてから数週間。 軍内には得も言われぬ重苦しい雰囲気が立ちこめ、とりわけ妹のラケシスはまるで魂が抜けたかのように消沈しきっていた。 ラケシスは今日も塞ぎ込みベッドに顔を沈めたまま皆の前に出ようともしない。 「兄様……」 形見の品である大地の剣を虚ろな目で見つめるとラケシスは呟いた。 見ている方が痛々しくて、ベッドの脇の椅子に腰掛けて心配そうに眺めていた男はそっとラケシスの髪を撫でた。 ―が、男の手は残念ながらすっと空を切る。 彼の名はエルトシャン。最早この世の者ではない。 先日無念の死を迎えたのだがどうやら成仏できなかったらしく、気がついたらノディオン城の側を漂っていた。どうしたものか、と思いシグルド軍の元へやって来たが、妹ラケシスはエルトシャンの死に対して想像以上の悲しみにくれていた。エルトシャンは必死に慰めているものの、肝心のラケシスにはエルトシャンの存在を全く気付いてもらえずにこうして数日を迎えている。 『ラケシス…』 悲嘆にくれているラケシスをどうにもできずに、エルトシャンはただ見守ることしかできずにいた。苦労しているであろう妻子をほっといて、霊体になってまですぐ妹の側へやってきたというのに、もう触れることはおろか、声さえも届かない。 『ラケシス!俺はここだ』 どんなに叫んでもラケシスは微塵も気付く様子もない。 エルトシャンは何もできない自分の無力さを感じていた。 『仕方ない。ラケシス、先にちょっとアレスの様子を見てくる』 エルトシャンはそれでも一応律儀にラケシスに告げると、ひとまず放りっぱなしの息子の様子を見に出掛けることにした。 馬に乗れないと言うのは想像以上に辛いものだった。 ちょっとアレスの様子を見てくるつもりであったが、思わぬ時間をくってしまいエルトシャンが戻ってきた時にはかなりの日時が経過していた。 (いいかげんラケシスも元気になっただろうか?) そう思って部屋に入ると、ラケシスは相変わらず昼間だというのにベッドに横たわっていた。相変わらずか、と嘆息してエルトシャンはその側に腰掛けて様子を伺う。 しばらくぼんやりとラケシスを見ていると不意にコンコン、と軽やかにドアを叩く音が耳に入ってきた。 「…開いてるわ」 ラケシスが小さく返事をしたのでエルトシャンは少し驚いた。先日までは「一人にして」などと答えて全く人を拒絶していたというのに。それに悲嘆の色に満ちていた声も心なしか明るくなっている。少し元気になった徴候を見つけてエルトシャンは喜ばしく思った。 「失礼します」 ドアの前の主はたっぷり10秒以上の間の後におそるおそるドアを開けた。 「…フィン。もうそんな時間なのね」 ラケシスはベッドから身を起こすと青い髪の人物をゆっくりと確認した。 (フィン…?) エルトシャンもその人物に見覚えがあった。確か…いつもキュアンの側にいた男。 「あの、お茶をお持ちしました」 「…えぇ。来ると思ってわ」 「え?」 ラケシスは横になっていたせいでぼさぼさになっている髪や服をせっせと直し始めた。その間にフィンが二人分のカップに紅茶を注いでいくのを、エルトシャンは恨めしそうに見つめていた。 『俺の分はどうした』 などと言ってみても、フィンにもやはり霊感がないらしくさっぱり反応がない。 「あの、お食事ちゃんと食べてらっしゃいますよね?」 「ちゃんと食べてるわよ、最近は。どうして?」 「お茶を待ってらしたみたいだったので。お腹が空いていらっしゃんたんでしょう?」 「え…、そういう訳じゃ…。ただ、甘いものが欲しかったのよ」 ラケシスはすっと顔を赤らめた。そんなに物欲しそうな顔していたというのだろうかと頬に手を当てる。 「食欲が出てきたのは良いことです」 「…そうかしら」 言いながら、ラケシスは目の前に置かれたカップケーキを口に運んだ。 「おいしい」 「よかった。キュアン様も大好きなんですよ、コレ」 フィンはにこにことしながらも手早く他の菓子を並べている。 (なんなんだ、これは?) さっきまでベッドに沈んでいた筈のラケシスは、フィンと取り留めのない会話を楽しんでいるようだった。まだぎこちないが、時折笑顔さえ浮かべる。 明らかにラケシスは先日より元気になってきていた。自分の事を忘れられてゆきくのはやはり悲しい事だが、それよりもあの生気の無かった妹が元気になればそれでいい。ラケシスの微笑み。それこそエルトシャンの望みなのだ。 (だが…) エルトシャンはどうにも怒りを覚えてならない。 フィンに向かって少しはにかむような笑顔をむけるラケシスを見ると、エルトシャンはたまらず部屋を後にした。 その夜、エルトシャンはキュアンの部屋へ向かった。こんな時間に訪れるのは昼間はキュアンが忙しそうにしていて、うまくコンタクトを取れなかった為だ。 (おい、起きろ) たとえ起きていても聞こえないかもしれないのだから、すっかり寝入っているキュアンに呼びかけるのは不毛というものだ。 どうしたものか、とエルトシャンは考え何気なくキュアンにの方へ手を伸ばした。実体のないはずの手がほのかに温かく感じられた。 (…そんなはずは、……!!!) 景色が一変して遠くにキュアンの姿が見えた。 いつの間にそんな芸当を覚えたのか、エルトシャンはするりとキュアンの夢の中へ入り込んだようだ。 『キュアン』 「お、エルトシャン!シグルドが捜してたぞ」 エルトシャンの姿を見るや否や、キュアンは駆け寄ってきた。どうやら士官学校時代の夢でも見ているらしい。キュアンの姿も若々しく、いつのまにか景色もグランベルの士官学校内になっている。 『おい、しっかりしろキュアン』 「しっかり?どうしたんだ?」 『俺の姿をよく見ろ。学生に見えるか?』 「…なるほど。学生にしては少々老けすぎ…、だが一体何故…」 『目を覚ませ。おまえと話に来たんだ。フィンのことで』 「フィン…?」 キュアンの意識が変わったらしく、周りの風景がさっと真っ白に変わった。 「エルトシャン…どういうことだ??」 全く状況を掴めずにいるキュアンにエルトシャンは掻い摘んで説明してやる。 「というと、おまえは霊となってさまよっている訳か」 『そうだ』 「なるほど、だいたい分かった。だが、それとフィンが何の関係があるんだ?」 そうだった、とエルトシャンは居ずまいを正してキュアンに向き直る。 『なんであの男がラケシスの部屋でお茶なんて飲んでるんだ』 「…あぁ。そのことか」 『知ってたのか!』 「知ってるも何も…フィンが断りに来たからな」 キュアンはこれまでの経緯、ラケシス及び三兄弟の護衛にフィンを付けていたことなどを詳しく説明した。 『おまえがあの男をラケシスの護衛になんか付けさせるから、ラケシスが暢気にお茶なんて飲む羽目になったんだな!』 「ちょっと待て。それは、俺のせいか。第一ラケシスの為にと思って、貴重な戦力であるフィンを付けたんだぞ。何で文句を言われねばならないんだ」 キュアンが至極もっともな反論を返す。 『だがラケシスに変な虫がついたら困る』 「単なるヤキモチだろ、それは。だいたいラケシスがあんなに悲しんでるのはおまえのせいだろうに、それをなんとか元気づけようと皆必至なんだぞ」 「……」 「フィンだってなー、本来は私と一緒にお茶をする予定なのにラケシスを元気づけるためにああしてるんだぞ」 『おまえのそれもヤキモチなのか…?』 「うるさい。なんにせよラケシスが元気になってきてるのはいい事じゃないか」 『む。それはそうだが…』 「おまえもいい加減妹離れしないとな」 死んでまで妹に近づく男を牽制するとはエルトシャンも相当なものだ。 キュアンはエスリンの兄がシグルドで良かったとほっと胸をなで下ろした。 「とにかく。フィンはおまえの思っているような男じゃない。あいつは真面目な男なんだ。フィンはラケシスの悲しみに付け入ったりはしてないぞ」 『だがな…』 「いいか、あいつはたとえ女性が誘ってたって気付かないような奴なんだ。ラケシスは心配ない 。俺が保証しよう」 『…わかった』 びしっと指差しで断言されてしまい、エルトシャンは仕方なくキュアンを信用してしばし様子を見る事にした。 ::: to be continued ::: エルト兄様好きの方、どうもすみません。 最初シグルドも話の前線に出そうかと思いましたが, 彼が出てしまうとただでさえ進まない話が、より一層脱線していく事に気がつきました。…というか、とんでもないボケ小説になっていくので却下。 |
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